第54回六無月喜多(北)マラソン 2014年6月1日 [ランニング]
いや~、なんというか、いい経験しました。
炎天下の河川敷は辛いねえ。
夜のニュースではこの日の東京は最高気温が33度だったとか。
気象庁発表の気温がこれなんですから、日蔭の全く無いアスファルトの照り返しがきついコース上は35度を確実に超えていたでしょう。
記録は二の次とは言うものの自己ワーストを一時間オーバーしました。
5時間切るのがやっとでした。
もうこんな大会、二度と出るもんか、と思っていたはずなのに、なんだろう?
また出たいかも?と思い始めている自分がいる。
ラン仲間の岩太郎さんに誘われて参加した「六無月東京喜多(北)マラソン」。
6月という開催時期に加え河川敷を2往復するコースなど最初から悪条件が揃っている大会なのですが、加えて北区ラジオ体操連盟という歴史あるも小さな団体がスポンサーもなく開催しており、ドリンクは水道水だけ、距離表示はほとんど無し、走路も閉鎖しているわけでもないので普通に自転車やら一般ランナーやらも走ってくるという、なかなかに“渋い”大会です。
昨今のマラソンブームの中、高い評価を得ているホスピタリティあふれる大会ですら、やれ給水所が短すぎるだの、距離表示が不正確だの、沿道の応援が少ないだの、と文句の多いランナーは絶対に参加しない方がいいですね。
いや、逆に参加してみた方がいいかもしれません。
これぞ“マラソン大会の原点”って感じで、つくづくマラソンなんてものは自己の責任において自己の鍛錬のために行う修行なのであると心から感じられます。
大会が一週間後に迫ってもハガキなどの受付通知が来ません。
紛失扱いになって再発行手数料などを取られても嫌なので主催者に電話しました。
数コールした後に会長さんらしき人の声が応答、話そうとしたときに留守番電話の応答メッセージであることに気がつきました。
メッセージの後に通知の未着について話しておこうかと思ったら、このメッセージが神対応。
「ハガキが届かなかった方は当日受付に言ってください。」
という内容。
ハガキが届かない人が大勢いる前提でのメッセージはさすが。
当日は8時からの受付だけど、ハガキ未着の対応もしなくちゃと少し早めに会場に到着。
はじめて舎人ライナーに乗ってみました。
足立小台という駅から2キロ弱です。
まだ受付は始まっておらずトイレもガラガラだったのでまず用を足し、少し前倒しで始まった受付で未着としてハガキを再発行してもらい、記念品のランニングリュックとナンバーカードをもらいました。
記念品のリュックは小さいものの使い勝手は良さそうでちょっとしたロング走に向きそうです。
色はブルー&ブラックとオレンジ&グリーンから選べ、僕はオレンジの方を頂きました。
他に大きめのトートバックも選べるようです。
朝からすでに気温が高く、日差しがきついので江北橋の下、走路の脇にシートを広げ陣地取り。
走路脇にしたのは理由がありますがあとで。
この時点での日蔭にはもうスペースがなかったのですが、日の向きから考えてこの後には日陰になるであろう場所を確保しました。
しばらくすると隣の日陰にいた方が他に移るからここをどうぞということで日陰に移動。
ここで準備をしながら岩太郎さんを待ち、8時過ぎには合流しました。
ウェアなどはいつもの通りですが、中止になった今年の房総丘陵トレイルの記念品である“バフ(http://buff.jp/)”を帽子の下に着け後方に垂らし首筋を日光から保護しました。
ウエストポーチも普段より大きめなものを用意し、普段のマラソン大会では持参することのないペットボトルも入れておきます。
一本でフルの距離が持つわけは無いので予備を陣地に置いておきます。
この大会はスタート/ゴール地点から川下に6キロ行って折り返し、元の場所を通過した後4.5キロ川上に行って折り返し、合計21キロ。
ハーフの人はこれで終了で、フルマラソンの部はこれももう一回繰り返します。
要するにゴールするまでに自分の陣地前を3回通過するわけです。
走路の脇に陣取ったのはこのセルフエイドをしやすくするため。
今思えばここにクーラーボックスと冷やした飲み物等まで置いておくべきでした。
次回参加するならそうしようと思います。
9時からの開会式では名物の会長さんのあいさつの後、主催者らしくラジオ体操が始まります。
しかも第二体操まで。
フルマラソンは9時半スタート。
暑いし、普段より荷物がちょっと多いし、最初っから記録を狙う気持ちはさらさらなくスタートの列も中盤に入りました。
エントリーが1000人以上ですがDNSもいるでしょうから1000人はいないでしょう。
スタートから岩太郎さんと二人並んでゆっくりと進んで行きました。
キロ6分を超えるくらいのゆっくりランでいろいろと会話しながら走ります。
最初にくぐる橋の下に給水所がありますが、もうすでに給水が追い付いていません。
スタッフはがんばってくれているんですが、人数は少ないわ、テーブルは小さいわで間に合わなんですね。
しかも中身はバケツに汲んだ水道水ですから。
でも手持ちのドリンクをまだ使いたくなかったので立ち止まって飲みます。
走路の脇は野球場などのグラウンド。
少年野球、少年サッカー、女子大生のラクロス、男子のアルティメット(フリスビーを使った競技)など様々な見られます。
河川敷の退屈な風景の替わりにこういうものを見て気を紛らわしていました。
距離表示が満足にないのでiPhone&アームバンドでRunkeeperを起動し、音声で1キロごとに知らせてくれるように設定しておきました。
6キロほど進んで堀北橋手前で最初の折り返し。
元の地点に戻っていきます。
ゲートをくぐって今度は上流に向かいます。
環七をくぐるとここから土手の上に上がります。
この地点はちょっといい景色が広がります。
岩淵水門で川を渡り少し行くと2回目の折り返しです。
他の給水所は橋の下なのですが、岩淵水門近くの給水所は炎天下です。
暑くて大変そうですし、さらにコップが元々少ないらしく、最初の通過時にすでに
「コップ洗って再利用しますのでつぶさないでください!」
と呼びかけています。
「こりゃ、次の通過時には水もなくなりそうだ」
そんな話をしながら走ります。
再びゴールゲートに到着。
ハーフは2時間13分ほど。
「まぁ、このまま行けは4時間半、後半に少し上げていければ4時間前後」
などと話しつつ、陣地に寄り、岩太郎さんからあんパンを頂いたりして再出発。
しかし、9時半スタートで2時間以上経過しています。
この日の南中は11時39分。
まさにこの時間。
ここから暑さがさらに増してきました。
25キロ地点あたりでしょうか。
岩太郎さんが
「少しフラフラしてきました。先に行ってください」
と言って立ち止まります。
しばらく一緒に歩いたのですが倒れたりするほどではなさそうということで僕だけ走り始めました。
少し先に行ってトイレを済ませているうちに追いついてくるかも知れないし、と思ったのです。
追いついてくることは無かったのですが3回目の折り返しのあと無事に走っている姿を見ることができたので安心しました。
引き続き走ってはおりますが、前半のペースすら保てません。
6分台中盤くらいがやっとな感じになっています。
生ぬるく美味しくは無い給水ではありますがすべての給水所でしっかり飲んで、さらにかぶります。
これほどの暑さですが給水所に水が無くなることは無かったです。
それもそのはず、走っているランナー自体が少なかったのですから。
ちなみに、すべての給水所でただの水道水です。
大きなバケツからプラスチックコップで直接掬い取ってテーブルに並べていきます。
コップが足りなくなると(なんで足りなくなるのかな?)再利用が始まります。
バケツに氷などという気の利いたものは入っていませんから、当然のように後半はぬる~い水になります。
僕は全く気にならないのですが、こういうのがダメな人は大変です。
あと提供される給食は僕が見た範囲ではバナナのみです。
中にはまるごと一本置いてあるエイドもありましたよ。www
一応各給水所に食塩があります。
3回目の陣地通過時に邪魔に感じていたウエストポーチを置き、ペットボトル一本を手に持って最後の折り返しに向かいました。
前半から中盤にかけて走っている最中に、最後の9キロは少しペースを上げようとか、最後の5キロは踏ん張ろうとか考えていたのですがもうそれどころではありません。
コース上ではほとんどの人が歩いており、ものすごく遅いスピードでも“走って”いれば抜くことができるくらいです。
“走って”いると言ってもこの付近でもペースはキロ8分近く。
折り返しが遠く感じます。
やっと最後の折り返し。
この後ついに少し歩きました。
そこで再び岩太郎さんに出会えました。
同じく歩いている状態でしたが元気そうではあります。
ここまで来ているからにはリタイアせずに戻ってくるでしょう。
再び安心した僕はゆるゆると走り始めます。
といってもキロ9分ほどのペース。
ゴール地点となる橋も見えてきてはいるのですが、とてもペースアップできる状況ではありません。
遂にゴールゲートが見えてきました。
まぁ、既に2度くぐってはいるのですが・・。
残り200mくらいでなんとかペースアップ二人抜き、一人に抜き返されゴール。
この大会では他のランナーと重ならない限りゴールテープを広げて待っていてくれます。
4時間49分37秒の長旅でした。
これまでの自己ワーストは大失速レースとなった昨年のつくばの3時間48分ですから、プラス一時間となりました。
暑さでフラフラしながらも計測チップを外してもらい記録証をもらいに行きました。
エントリー1035人中212位。
このタイムで全体の5分の1ってオイッ!
翌々日の発表を見ると最後のランナーが441位(男子の部)。
やっとサブ5のタイムで半分より上。
完走率43%弱。
灼熱のサバイバルレースでありました。
距離は少し誤差がありますがコースはこの通りです。
記録証のあとはポカリスエット缶とリンゴ一つをもらって陣地に戻ります。
顔も腕も脚も塩の結晶でざらざらしています。
濡れタオルを持ってきて正解。
リンゴをかじりつつ30分ほどへたり込んでいました。
なんとか動けるようになって
「そういえば岩太郎さんまだ戻ってこない」
ということでゴールゲート付近で待ってました。
1時間ほどあとに岩太郎さんゴール。
ゆっくりと休憩を取ったあとアフターしに帰りました。
当日中は
「辛すぎです。もう2度とこの大会には出ません」
と話していた二人でしたが、日が経つにつれ、あれはあれで面白いレースなのではないか、
自分自身できちんと対策を取ればもう少し楽になるのではないか、
少なくとも今大会だけの自己記録を更新していくのも面白いのではないか、
と思い始めています。
荷物置き場の地点を3回通過するんですから、クーラーボックスにキンキンに冷やした飲み物や食料、タオルなどを置いておけばいいわけです。
記念品にもらったリュックなどに氷枕を入れて走るのもありかもしれません。
まぁ、来年になったら考えます。
炎天下の河川敷は辛いねえ。
夜のニュースではこの日の東京は最高気温が33度だったとか。
気象庁発表の気温がこれなんですから、日蔭の全く無いアスファルトの照り返しがきついコース上は35度を確実に超えていたでしょう。
記録は二の次とは言うものの自己ワーストを一時間オーバーしました。
5時間切るのがやっとでした。
もうこんな大会、二度と出るもんか、と思っていたはずなのに、なんだろう?
また出たいかも?と思い始めている自分がいる。
ラン仲間の岩太郎さんに誘われて参加した「六無月東京喜多(北)マラソン」。
6月という開催時期に加え河川敷を2往復するコースなど最初から悪条件が揃っている大会なのですが、加えて北区ラジオ体操連盟という歴史あるも小さな団体がスポンサーもなく開催しており、ドリンクは水道水だけ、距離表示はほとんど無し、走路も閉鎖しているわけでもないので普通に自転車やら一般ランナーやらも走ってくるという、なかなかに“渋い”大会です。
昨今のマラソンブームの中、高い評価を得ているホスピタリティあふれる大会ですら、やれ給水所が短すぎるだの、距離表示が不正確だの、沿道の応援が少ないだの、と文句の多いランナーは絶対に参加しない方がいいですね。
いや、逆に参加してみた方がいいかもしれません。
これぞ“マラソン大会の原点”って感じで、つくづくマラソンなんてものは自己の責任において自己の鍛錬のために行う修行なのであると心から感じられます。
大会が一週間後に迫ってもハガキなどの受付通知が来ません。
紛失扱いになって再発行手数料などを取られても嫌なので主催者に電話しました。
数コールした後に会長さんらしき人の声が応答、話そうとしたときに留守番電話の応答メッセージであることに気がつきました。
メッセージの後に通知の未着について話しておこうかと思ったら、このメッセージが神対応。
「ハガキが届かなかった方は当日受付に言ってください。」
という内容。
ハガキが届かない人が大勢いる前提でのメッセージはさすが。
当日は8時からの受付だけど、ハガキ未着の対応もしなくちゃと少し早めに会場に到着。
はじめて舎人ライナーに乗ってみました。
足立小台という駅から2キロ弱です。
まだ受付は始まっておらずトイレもガラガラだったのでまず用を足し、少し前倒しで始まった受付で未着としてハガキを再発行してもらい、記念品のランニングリュックとナンバーカードをもらいました。
記念品のリュックは小さいものの使い勝手は良さそうでちょっとしたロング走に向きそうです。
色はブルー&ブラックとオレンジ&グリーンから選べ、僕はオレンジの方を頂きました。
他に大きめのトートバックも選べるようです。
朝からすでに気温が高く、日差しがきついので江北橋の下、走路の脇にシートを広げ陣地取り。
走路脇にしたのは理由がありますがあとで。
この時点での日蔭にはもうスペースがなかったのですが、日の向きから考えてこの後には日陰になるであろう場所を確保しました。
しばらくすると隣の日陰にいた方が他に移るからここをどうぞということで日陰に移動。
ここで準備をしながら岩太郎さんを待ち、8時過ぎには合流しました。
ウェアなどはいつもの通りですが、中止になった今年の房総丘陵トレイルの記念品である“バフ(http://buff.jp/)”を帽子の下に着け後方に垂らし首筋を日光から保護しました。
ウエストポーチも普段より大きめなものを用意し、普段のマラソン大会では持参することのないペットボトルも入れておきます。
一本でフルの距離が持つわけは無いので予備を陣地に置いておきます。
この大会はスタート/ゴール地点から川下に6キロ行って折り返し、元の場所を通過した後4.5キロ川上に行って折り返し、合計21キロ。
ハーフの人はこれで終了で、フルマラソンの部はこれももう一回繰り返します。
要するにゴールするまでに自分の陣地前を3回通過するわけです。
走路の脇に陣取ったのはこのセルフエイドをしやすくするため。
今思えばここにクーラーボックスと冷やした飲み物等まで置いておくべきでした。
次回参加するならそうしようと思います。
9時からの開会式では名物の会長さんのあいさつの後、主催者らしくラジオ体操が始まります。
しかも第二体操まで。
フルマラソンは9時半スタート。
暑いし、普段より荷物がちょっと多いし、最初っから記録を狙う気持ちはさらさらなくスタートの列も中盤に入りました。
エントリーが1000人以上ですがDNSもいるでしょうから1000人はいないでしょう。
スタートから岩太郎さんと二人並んでゆっくりと進んで行きました。
キロ6分を超えるくらいのゆっくりランでいろいろと会話しながら走ります。
最初にくぐる橋の下に給水所がありますが、もうすでに給水が追い付いていません。
スタッフはがんばってくれているんですが、人数は少ないわ、テーブルは小さいわで間に合わなんですね。
しかも中身はバケツに汲んだ水道水ですから。
でも手持ちのドリンクをまだ使いたくなかったので立ち止まって飲みます。
走路の脇は野球場などのグラウンド。
少年野球、少年サッカー、女子大生のラクロス、男子のアルティメット(フリスビーを使った競技)など様々な見られます。
河川敷の退屈な風景の替わりにこういうものを見て気を紛らわしていました。
距離表示が満足にないのでiPhone&アームバンドでRunkeeperを起動し、音声で1キロごとに知らせてくれるように設定しておきました。
6キロほど進んで堀北橋手前で最初の折り返し。
元の地点に戻っていきます。
ゲートをくぐって今度は上流に向かいます。
環七をくぐるとここから土手の上に上がります。
この地点はちょっといい景色が広がります。
岩淵水門で川を渡り少し行くと2回目の折り返しです。
他の給水所は橋の下なのですが、岩淵水門近くの給水所は炎天下です。
暑くて大変そうですし、さらにコップが元々少ないらしく、最初の通過時にすでに
「コップ洗って再利用しますのでつぶさないでください!」
と呼びかけています。
「こりゃ、次の通過時には水もなくなりそうだ」
そんな話をしながら走ります。
再びゴールゲートに到着。
ハーフは2時間13分ほど。
「まぁ、このまま行けは4時間半、後半に少し上げていければ4時間前後」
などと話しつつ、陣地に寄り、岩太郎さんからあんパンを頂いたりして再出発。
しかし、9時半スタートで2時間以上経過しています。
この日の南中は11時39分。
まさにこの時間。
ここから暑さがさらに増してきました。
25キロ地点あたりでしょうか。
岩太郎さんが
「少しフラフラしてきました。先に行ってください」
と言って立ち止まります。
しばらく一緒に歩いたのですが倒れたりするほどではなさそうということで僕だけ走り始めました。
少し先に行ってトイレを済ませているうちに追いついてくるかも知れないし、と思ったのです。
追いついてくることは無かったのですが3回目の折り返しのあと無事に走っている姿を見ることができたので安心しました。
引き続き走ってはおりますが、前半のペースすら保てません。
6分台中盤くらいがやっとな感じになっています。
生ぬるく美味しくは無い給水ではありますがすべての給水所でしっかり飲んで、さらにかぶります。
これほどの暑さですが給水所に水が無くなることは無かったです。
それもそのはず、走っているランナー自体が少なかったのですから。
ちなみに、すべての給水所でただの水道水です。
大きなバケツからプラスチックコップで直接掬い取ってテーブルに並べていきます。
コップが足りなくなると(なんで足りなくなるのかな?)再利用が始まります。
バケツに氷などという気の利いたものは入っていませんから、当然のように後半はぬる~い水になります。
僕は全く気にならないのですが、こういうのがダメな人は大変です。
あと提供される給食は僕が見た範囲ではバナナのみです。
中にはまるごと一本置いてあるエイドもありましたよ。www
一応各給水所に食塩があります。
3回目の陣地通過時に邪魔に感じていたウエストポーチを置き、ペットボトル一本を手に持って最後の折り返しに向かいました。
前半から中盤にかけて走っている最中に、最後の9キロは少しペースを上げようとか、最後の5キロは踏ん張ろうとか考えていたのですがもうそれどころではありません。
コース上ではほとんどの人が歩いており、ものすごく遅いスピードでも“走って”いれば抜くことができるくらいです。
“走って”いると言ってもこの付近でもペースはキロ8分近く。
折り返しが遠く感じます。
やっと最後の折り返し。
この後ついに少し歩きました。
そこで再び岩太郎さんに出会えました。
同じく歩いている状態でしたが元気そうではあります。
ここまで来ているからにはリタイアせずに戻ってくるでしょう。
再び安心した僕はゆるゆると走り始めます。
といってもキロ9分ほどのペース。
ゴール地点となる橋も見えてきてはいるのですが、とてもペースアップできる状況ではありません。
遂にゴールゲートが見えてきました。
まぁ、既に2度くぐってはいるのですが・・。
残り200mくらいでなんとかペースアップ二人抜き、一人に抜き返されゴール。
この大会では他のランナーと重ならない限りゴールテープを広げて待っていてくれます。
4時間49分37秒の長旅でした。
これまでの自己ワーストは大失速レースとなった昨年のつくばの3時間48分ですから、プラス一時間となりました。
暑さでフラフラしながらも計測チップを外してもらい記録証をもらいに行きました。
エントリー1035人中212位。
このタイムで全体の5分の1ってオイッ!
翌々日の発表を見ると最後のランナーが441位(男子の部)。
やっとサブ5のタイムで半分より上。
完走率43%弱。
灼熱のサバイバルレースでありました。
距離は少し誤差がありますがコースはこの通りです。
記録証のあとはポカリスエット缶とリンゴ一つをもらって陣地に戻ります。
顔も腕も脚も塩の結晶でざらざらしています。
濡れタオルを持ってきて正解。
リンゴをかじりつつ30分ほどへたり込んでいました。
なんとか動けるようになって
「そういえば岩太郎さんまだ戻ってこない」
ということでゴールゲート付近で待ってました。
1時間ほどあとに岩太郎さんゴール。
ゆっくりと休憩を取ったあとアフターしに帰りました。
当日中は
「辛すぎです。もう2度とこの大会には出ません」
と話していた二人でしたが、日が経つにつれ、あれはあれで面白いレースなのではないか、
自分自身できちんと対策を取ればもう少し楽になるのではないか、
少なくとも今大会だけの自己記録を更新していくのも面白いのではないか、
と思い始めています。
荷物置き場の地点を3回通過するんですから、クーラーボックスにキンキンに冷やした飲み物や食料、タオルなどを置いておけばいいわけです。
記念品にもらったリュックなどに氷枕を入れて走るのもありかもしれません。
まぁ、来年になったら考えます。
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